ホテルのサービスから考える、日本人と欧米人の「サービスの対価」の違い
- 5 日前
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先日、少し考えさせられる出来事がありました。
久しぶりに帰国した日本人の友人と、その夫の欧米人と一緒に、海のそばのリゾートに滞在することになったときのことです。
友人夫婦は私より一週間ほど早く現地に入り、いくつかのホテルを予約して、場所を変えながら滞在していました。私は急遽週末のみ合流することになったので、検討する時間もなく、以前泊まったことがあり印象もよかった会員制ホテルを予約しました。
久々の再開を楽しみにしていた合流前日、5つ星ホテルに滞在していた友人夫婦から連絡が来たのです。
「ベッドが硬すぎる。子ども連れが多くて騒がしい。温泉も消毒の匂いがする。だから連泊をキャンセルすることにした」と。
※実際にはほかにもたくさんのポイントがあったのですが。
私は少し驚きました。
外資系の五つ星ホテルではあるものの、実際に泊まってみれば「ベッドが自分の好みではない」「周囲が思ったより騒がしい」「温泉の匂いが気になる」ということは、想定内だと考えていたからです。
実際、私だったらどうするだろうと考えました。おそらく、キャンセルはしないでしょう。
「まあ、五つ星ホテルだけど、そういうこともあるよね」
「平日とはいえ夏休みだし、混雑は仕方ない」
「温泉だけど衛生管理上多少消毒の匂いがするのは当たり前」
「ベッドが硬いけれど、これくらいなら大丈夫」
そんなふうに、自分の中で理由をつけて、そのまま泊まる気がします。
結局友達からの連絡を受けた私は、自分が予約していたホテルの部屋を急いで追加予約し、友人夫婦と同じ日程を過ごすことができ、自身にとってはうれしい誤算になったのですが。
そのときふと思ったのです。
これは単に「外国人は文句を言う、日本人は我慢する」という話なのだろうか。
たぶん、それだけではありません。
その根底には、「サービスに対してお金を払ったのだから、期待した水準を満たしてもらうのは当然だ」という考え方と、「お金を払ったからといって、すべてが自分の思い通りになるわけではない」という考え方の違いがあるのです。
「お金を払ったのだから」は、要求するための言葉になる欧米
欧米や欧州では、サービスを「好意」ではなく、かなり明確な取引として捉える傾向があります。
ホテルに宿泊するなら、その料金には「快適に過ごせる環境」が含まれているはず。だから、ベッドが自分に合わなければ、「このベッドでは快適に眠れない」と伝える。周囲がうるさければ、「この部屋ではリラックスできない」と伝える。期待していたものと実際のサービスに差があれば、ハイシーズン料金とは関係なく「料金に見合っていない」と考える。これがごく当然のことなのです。
もちろん、何でもかんでも要求していいという意味ではありません。海外にもクレーマーという概念は存在しますし、理不尽すぎる要求はカスハラになってしまいますから。
むしろ重要なのは、自分が受け取るべきサービスと、実際に受け取ったサービスの間に差があれば、それを相手に伝えることは正当な行為だと考える点なのだと思うのです。
「文句を言う」というより、「契約したサービスについて交渉する」。
だから、ホテル側が対応できるなら対応してもらうし、対応できないならキャンセルや返金など、次の選択肢を考えるのです。
日本人は「サービスの受け手」であると同時に、「相手の事情を察する人」でもある
一方、日本では少し違います。
日本人は、サービスに対して決して期待が低いわけではないですし、むしろ世界でもかなり高い水準を求めているのではないかと思います。
ホテルが清潔であること、店員の対応が丁寧であること、時間通りにサービスが提供されること。こうしたことを当然のように期待しています。
ところが、その期待が裏切られたとき、日本人は必ずしもそれを口にするとは限りません。
「忙しいのかも」
「担当者も大変だろう」
「自分だけが文句を言うのは申し訳ない」
「これくらいなら我慢できる」
「わざわざ言うほどのことでもない」
そうやって、自分の不満を自分の中で処理してしまうのです。
これは日本人の「我慢強さ」でもあるし、「相手の立場を考える」という美徳なのかもしれません。
しかし、別の見方をすれば、本来はサービスの提供者と共有すべき問題まで、消費者が自分で引き受けてしまっているとも言えます。
我慢することが美徳である社会と、要求することが権利である社会。
「我慢」は、本当に無料なのだろうか
ここが、私がこの出来事から一番考えさせられたところです。
たとえば、ホテルのベッドが硬くて眠れなかったとします。
私たち夫婦を含む多くの日本人は「まあ仕方ない」と思って一晩過ごすかもしれません。
でも、実際にはホテル代を払っています。
つまり、本来なら「快適に眠る」というサービスの一部に対して、すでにお金を払っているのです。
自分が我慢することで問題を解決してしまうのは一見すると穏やかで、相手に迷惑をかけない行動とおもわれますが、考えてみれば、その「我慢」もまた、消費者が負担しているコストです。
・時間を失う。
・睡眠の質を失う。
・旅行の満足度を失う。
そして何より、「せっかくお金を払ったのだから楽しみたい」という気持ちが削られていきます。
欧米的な考え方では、そこをあまり自分だけで抱え込むことをしません。
「私はこれにお金を払った。だから、問題があるなら解決してほしい」
そう言ってみるのです。
その結果、ホテルが「申し訳ありません。別の部屋をご用意します」と言うかもしれないし、「満室なので対応できません」と言うかもしれません。
あるいは、今回のようにキャンセル料について交渉することになるかもしれません。
大切なのは、最初から「自分が我慢するしかない」と決めないことなのかもしれません。
日本人は「良いサービス」を、相手の努力まで含めて評価する
もう一つ興味深いのは、日本ではサービスの評価に「人との関係性」の感覚が入りやすいこと。
・店員さんが一生懸命働いている。
・ホテルのスタッフが丁寧に頭を下げている。
・忙しい中でも笑顔で対応してくれた。
そういう姿を見ると、「多少のことは許してあげよう」という気持ちになってしまう。これは、私は日本人特有の良い文化だとも思っています。
だから、クレームを言うことが、単なるサービスへの要求ではなく、「相手を責めること」のように感じられてしまうのかもしれません。
一方で、サービスをビジネスと捉えれば、「お金を払った客」と「サービスを提供する側」の役割が比較的明確です。
・不満があれば伝える。
・提供する側は、それに対応する。
・対応できなければ、客は別のサービスを選ぶ。
今回の「5つ星なのに団体の子どもがいて騒がしい」というのは、ホテル側の落ち度とは限りません。「温泉から消毒の匂いがする」というのも、日本の衛生管理上必要なことかもしれないし、「ベッドが硬い」というのも、個人の好みの問題なのかもしれません。
しかし、評価が経営を左右するホテルであれば、その意見に対しての対応は重要です。多くの人が共感するような悪い評価がつけば客は減るし、悪い評価に対しての改善があれば、むしろ評価が上がることもあるでしょう。
今回の件は、ホテル本部側との交渉の末、キャンセルに至ったのですが、この友人夫婦の判断が誤りであるとか、日本人の私の感覚が間違っているという話ではないのです。
友人夫婦がホテルをキャンセルすると聞いたとき、私は一瞬「そこまで言うのか」と思いましたが、自分だったらどうするかを考えてみて、逆に気づきました。
私は「我慢できるから我慢する」のではなく、もしかしたら「客として要求していい範囲がよく分からないから我慢する」のかもしれないと。
旅先で少しくらい不便があっても、「せっかく来たのだから楽しもう」と思うし、相手にも事情があると考え自分の中で消化してしまう。
それは確かに、日本人の素敵なところなのですが、サービスには対価があります。私たちは「我慢すること」に対してお金を払っているわけではないのです。だから、たまには「これはちょっと困る」と言ってみてもいい。それで相手が対応してくれれば、お互いに気持ちよく過ごせる。対応できなければ、「今回はそういうものだった」と受け入れればいい。
旅行という非日常の時間くらいは、もう少し「お金を払ったのだから、快適に過ごしていい」と自分に許してもいいのではないかと感じた出来事でした。
人との関係性も大切にしつつ、忖度なしの評価も受け止める
私たちTHIRD PLACEは人との関係性をとても大切にしている典型的なザ・日本人企業です。属人的なスタイルで、ご評価をいただけていたりもします。
しかし、今回の経験を通し、サービスを提供する側として、対価をいただく以上、いただいた報酬に見合った、あるいは期待を超えるサービスを提供することで喜んでいただけたり、リピートにつながるのだと思いますし、改善点があるなら可能な対応をしなくてはいけないと強く感じました。幸いなことに、信頼関係の下率直なご意見をいただけることもありますが、もしかしたら提供したサービスの不満に気づくことができていないこともあるかもしれません。
今後、お客様からの貴重なご意見は今後のサービスに活かせるものとして、真摯に耳を傾け、アフターサービスやフォローにも力を入れていきたいし、それらの意見は私たちの成長と継続のヒントになっていくのではないかと感じました。



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